昭和48年8月10日  月例祭における御理解
秋田健一郎


「人にすすめられての信心は、つけ焼き刃の信心じゃ。つけ焼き刃の信心はとれやすい。」
えー、そういう御理解に基づいて今朝から頂いた御理解「その身から打ち込んだ信心」。それを私は、今日は、「おかげに誘われての信心はしょうことなしの信心じゃ」と、えー、「しょうことなしの信心はとれやすい」と、こういう風に聞いて頂いた。
「真の信心を」と教祖様は仰せられます。真の信心を目指しての信心、ね、これなら、その身から打ち込んだ信心をさせて頂けばお徳が受けられる。
今日、御本部の方から毎月の教報を送って頂きました。教会だけに送ってくるものです。その中に先回からのお祭りのお説教をなさった先生方のお話が二つ載っておりました。それを、まあ、全部は読みませんでしたけれども、半分ずつばかりを読ませて頂いたのですけれど。えー、御本部のちょっと向こうに倉敷というところがあります、倉敷の教会の先生のお話が出ておりました。
 親教会に、えー、十何年修行されて、そして、奥さん、子供、親御さんを教会にお預けになって倉敷に布教に出られた。えー、まー、決心をして、えー、あー、親,家内、子供を教会に、まー、呼ばれて、大変おかげを受けて、6年目にはお広前の御建築までおかげを受けられたというようなおかげ話がございましたが、そののっけのところにです、「祈れ薬れ」ということについてのお話が出ていました。「祈れ薬れ」にすればおかげも早いが、「薬れ祈れ」にするからおかげにならんといったような御理解を、のっけに話しとられます。
 「或る宗教では、ね、病気をしても医者にかからんといったような宗教があるが、そういう宗教は間違いだ。例えば、田圃に田苗を植えて草も取らなければ薬も施さない。ね。そういうことは道理に合わない。やはり、植えたからには、草も取らなければならない、薬も施さなければ。それが道理に合うた信心じゃ。」と言うことを、のっけに言うておられます。
 私も、それを読ませて頂いて、「なるほど、道理じゃ。」だと、私も思うんです。ね。そして、最後のところには、うーん、今言う自分が御布教に出られた時のお話が出ておる。
親教会から2斗のお米を貰っただけで布教に出たというお話である。ね。それで、2ヶ月余りして、何かと不自由だから、奥さんを呼ばれることになった。けれども、そういう信者とて未だ無い教会ですから、ね、やはり、手を尽くすだけは尽くさなければならん。人間の働きの出来るところは働きを、そして、なおかつ、神様に縋るのだ願うのだというところで、アノー、奥さんは来られたその日から、呉服物の行商を始められることになった。
 ところが、ね、行商の第一日目に大怪我をなさった。そこで、先生も、奥さんも悟られたのですけれども、「これは、神様の機感にかなわなかった。これは、もう、死ぬる生きるは神様にお任せして、一心に縋ろうじゃないか」ということから、行商をもう第一日目から決心をして、なさらなかったと。それから、日増しに人も助かるようになり、おかげを頂いて、6年目には新築をさして頂くという程しのおかげを受けたというお話です。
皆さん、その辺のところを良―く聞いて頂きたいと、今日は思うのです。ね。
病気をする。医者にかかる。お薬を飲む。それも、お取り次ぎを頂いて、お願いをして、そうさして頂くことは、それは道理に合うた信心だ。
そんならば、医者にかからないなどというような、そういう道理に合わない話は信心では無いのだと。ね。やはり、田圃に田を植えたならば、草も取らなければならない、肥料も施さなければならない。虫が出来たら、採りもしなければならない。それが、道理に合うた信心だとこう言う。ね。
この2つの話から、皆さん、どういう風に頂かれるだろうか。
おかげを受ける信心、「信心して、どうぞ、おかげを受けてくれよ」と仰るおかげとは、ね、「御神徳を受けて、あの世にも持っていけ、この世にも残しておける程しのおかげを受けてくれよ」というのが、神の切なる願いである。
金光様の御信心は、先ずは、だから、どれが良いの悪いのではないけれども、その一つの過程というものを辿らせて頂いていくうちに、神様の絶対な愛に触れることが出来る。ね。そこから、ね、言わば、道理に合うというか、もう、それは超道理ということ。
教祖の神様の信心は、もう、超常識である。
だから、場合には非常識といったような風にも見えるのであるけれども、それは超常識なのである。ね。言うなら、超道徳である。道徳、普通の道徳をまた超えておるのである。常識を超えておるのである。だから、超がつく程しのおかげにもなるのである。
だから、そこは何処がいけないの、だから、この先生はお話をしながら、その自分のお話をしておることに対して、あんまり矛盾を感じておられないように感じた。
けれども、私は読みながら、ウーンそれを感じ、皆さん、どう感じられたか。ね。
だから、本当に信心、今日、私が今朝から皆さんにも聞いて頂きますようにです、ね、「しょうことなしの信心はつけ焼き刃の信心じゃ。人に誘われて、しょうことなしの信心」。それを私は、おかげにつられての、おかげを受けなければならんからというおかげに誘われての信心は、それは「つけ焼き刃」。
おかげを受ければありがたい。おかげを受けなかったら「これ程信心するのに」と言うようなことになって来る。それはなるほど、それでもおかげは受けていこうけれども、これではお徳を受けることは出来ない。ね。
私どもの信心過程を、ね、いろいろ辿らせて頂いて、五年十年、そして十五年二十年と、信心が育っていくということは、もう、お徳を頂くことのための信心ということになって参りませんと、信心が、ね、ただ、言うなら、お願いをして、おかげをご利益を受けたというだけなら、何様でも、言うなら藪神、小神でも良いことになって来る。
「一心に願えば、わが心に神がござるから、おかげになる」といったようなおかげではなくて、ね、神様の御信任、御信用を受けさせて頂けれる信心に進んでいかなければならない。ね。
その後においての、その倉敷の先生の生き方はです、もう、お徳を受ける生き方なのである。ね。もう、二人、夫婦の者の、もう口のことは神様に任せた。もう委ねた。「死ぬる生きる」は、もう、あなた任せ。ただ、一生懸命、二人は御用をさせて頂くということからです、そこに、自分の助かりを感じられ、人が助かっていくということの働きになって来た。ね。これは、もう、お徳の世界である。
もう一つ、お説教が載っておった。それは、熊本の坪井教会の宮本と言う先生のお話であった。
一、二年前に青年教師会の講師で、ここにも見えたことがありましたね。坪井教会の宮本と言う若い先生です。若いと言うても、私より幾つかしか少くない位な先生です。 
この先生のところの教会がそもそものところの話をしてある。お父さんが胸の病気で、その当時、えー、療養所に入られ、その頃、もう、退院していくと言うのは、良くなって退院していくのでなくて、「どうぜ死ぬんなら、家で死んだ方が良い」と言うて帰っていく者、ほとんどは、この病院に入ったら死んで帰らなければならないというように、今のような医学が進んでいない時代なんです。
もう、半ばあきらめて、毎日毎日、そういう治療を受けておられる時に、ある日、売店に氷を食べに行かれた。ところが、その売店のおじさんが、ね、「近頃、このすぐ近所にえらい助かる神様が出来てござるげな。あんた達も、一遍そこに参ってみらんな。あんたがお参りするとなら、私が連れて行ってやっても良い。」と言うて、一つ川を隔てた向うに熊本教会がある。その熊本教会に初めて、その売店のおじさんの導きでお参りさして頂いた。先生のお話を頂いて、えー、元気が出た。「必ず助かる。一心にすがれば助かる」。そこで、一心にすがって、病院を退院されて、近くの町に、うーん、下宿をされた。そして、妹さんと二人で自炊をしながら、教会参りに専念された。兄妹で。もう、本当にびっくりするようにドンドンおかげを頂いていった。
ところが、2ヶ月目である。ね。ちょっとしたことから、また、元に戻ってしまったというのである。
私は、このお話を読ませて頂く、手前のところを読みよったら、何か知らんけれども、心がはずむ。心が感動する。ね。
感動が、もう、体が震うような感動になってくる。
そして、売店のおじさんが、その坪井と言うか、えー、宮本と言うその方に「宮本さん、一つ、近所にある金光様に参ってみないか」と言われるところまで読んだ時に、「あー、ここのところが、ネ、神との出会いだな。」と、私は思うたです。ね。
もう、とにかく、御信用を頂いたということはです、例えば、私は、そこを読む、まあーだ、手前のところなんです。まだ、病院で入院をして、例えば、「あー、今日は暑いから、氷水を1杯食べよう」と言うて売店の前まで来られたところのにきから、感動しだした。
神様が、その氏子との出会いというものをです、もう、それこそ胸をワクワクさせながら感じておられるものが、私に通うて来たんだと思うた。ね。
だから、その御神縁というものは、もう不思議なこと。御神縁というのは、もう、神様との出会いということであるから、大変なこと。
「あの時、もし、あの時が無かったら、あのことが無かったら」、神様を一生知らずに終わらなければならない人達も沢山あろう。
そのような不思議な御神縁を頂いても、それをそれと気づかずに、途中で半端になってしまう人達も沢山あろう。ね。
そこのところの出会いのところからです、私は感動が止められない程しの感動を覚えて、神様はこのような思いで氏子、難儀な氏子の一人一人の上にです、思いをかけておられて、何とか救いの網を投げかけたい。その救いの網をです、ね、自分が、言わば、手繰って神様に近付いて来るところの信心修行を願うておられるかということが分かります。
 その宮本と言う方もです、ね、とうとう2ヶ月の前(?)に、また、ぶり返ってしまって、元のところになってしまって、「これは神様のおかげと思いよったが、神様のおかげじゃなかったぞ。」と。ね。
「病気は気からと言うから、気分から良うなっごたる気がしておるだけであった。やはり、自分は助からん。」と言うて悲観しておられる時に、妹さんがね、兄さんに代わって「そんなら、先生にそのわけを一つ聞いて来う」と言うて、お参りになった。時に、熊本教会の、初代の教会長先生のお取り次ぎを頂かれた。
 「あんたんところのお兄さんの病気は、もう、いわゆる胸の病気の二期に入っておる。だから、一応おかげの印を見せられたが、今、ご飯もいけんようになった。身体も衰弱して来た。ね。もう立ち上げれんように弱ったということはです、ご飯がいけんというのは、今の身体にちょうど良い位のものがいけるのであり、そのー、例えば、臭いような痰がドンドン出るということも、これは最後の御取り払いを頂いておるんだ。」と説明された。それを聞いて帰って、また、兄さんにそのことを話されたら「そうかも知れん」ということになってです、また、渾身の力を絞って、教会に参拝を続けられた。
そこから、いよいよ助かると。
一の太刀は見事に受け止めたけれども、二の太刀、三の太刀で失敗をする。私どもの信心過程において、そういうことが必ずあるです。ね。
だから、そこのところを、私は、辛抱していくということ。
 それから、日ならずして、おかげを頂かれて、八幡教会で御神縁を頂いておられるこの方も病人の看護婦をしておられる方と、見合いをしろということで見合いをされた。
 もう、見合いをした当日に両方が気に入ったと言うので、もう、その場で結婚式を挙げる。両方の先生方がやってくれ(?)なさった。ね。
そして、ご自分は87歳まで生きられた。お母さんは、未だ現在は81歳で御用が出来ておられるという。二人とも、もう本当に病弱な中からです、そうしたおかげを頂いて、そのような長生きのおかげを頂いて、御用が出来られた。
 あの初めての時の神様との出会いが無かったらね、さほど信心があるとも思われない、いわゆる、売店のおじさんに誘われて、ね、言うならば、言うなら、しょうことなしにお参りさせて頂いたのだけれども、ね、そこから、段々、本当な信心に、迷おうとする気持ちから、これ限りだと思うところから、また、力を振り絞って、次の信心に進んで行かれて、人が助かる程しのことになっていかれた。というお話をなさっておられます。
 私どもがです、本当に、ね、合楽教会に御神縁を頂いたという、そもそものところを一つ思わせて頂いて、「あれが私どもが今日このようなおかげを頂いておる、あれが初めての神の出会いの日であった。」と、改めてそのことにお礼が言えれる程しのおかげを頂くということは、それは日参り、例えば夜参りさして頂いても、おかげにつられてしょうことなしの信心ではです(笑い)、そういうおかげは受けられない。ね。
 真の信心を願わしてもらい、真の信心を求めて。
今朝から、そのお話をさせて頂いたら、そこの、合楽の田中さんが「あー、今日の御理解は有り難い。けれども、先生、私どもの場合は、それが半分半分位です。おかげに誘われて、やっぱ、参って来よります。かと言うて、親先生の御理解を拝見いたしますと、これは真の信心を頂かなという心も起こって来る」。
「だからね、言葉というものは、なかなか不自由なもので、実を言うたらそうなんですよ。」と。誰だって、やっぱり、おかげに誘われて、ね。けれども、ただ、おかげに誘われてだけであってです、ね、真の信心を目指そうとしない。例えば、田中さん、今、ほら、あの問題があろうが。あんたんとこのあの難儀な問題が。けれども、なら、あの問題ば真の信心ということに照らし合わしたら、もう、あんたは一つも心配することは要らんとじゃ。けれども、そのことばおかげ頂かんならんと思いよるけん、それが心配じゃ。けれども、真の信心でそれを見たら『あー、これのおかげで信心が出来る』というお礼を言われるようなことをいつまで経ってもそこをグルグルしとるね」と言って話したことです。
 なるほど、お互いが、おかげに惹かれない者はありません。また、おかげが頂けるから、お参りもしますけれどもです、ね、「今、天地の開ける音を聞いて目を覚ませ」という天地の親神様の願いというものをです、ね、私どもが信心で受け止めさして貰うて、ね、ここのところを真の信心をもってするのというのはどういう受け方をすることが真の信心に入っていくことかということをです、ね、いかに、しょうことなしの、言うならば、おかげに誘われてだけの信心がです、ね、最後のところに、「家族が勢を揃えて信心せよ」と。「一人で持ち上がらぬ石でも、大勢掛け声を揃えて持ち上げられれば持ち上げられるんだ」と言う御理解です。
 けれども、例えば、なら、そのおかげ目的の信心ではです、ね、つけ焼刃の信心が、いくら集まっても、それはもう烏合の集にすぎない。
 力が無い者が百人集まったところで大したことは出来ない。力が無いので。ね。
 力というのは、真の信心を身に着けていくところから生まれるのが信心の力である。
そういう力を持っておる者がです、本当の力を持っておる者が、勢を揃えるから、一人で持ち上がらぬ石でも持ち上がる道理というおかげになって来るのですから、ね、どうでも、私どもが、そのおかげ信心、例えば、先程一番始めに申しました、いわゆる、「祈れ、薬れ」と言うことがです、ね、それが道理におうた信心だと。なるほど、その道理におうた信心をさして貰い、貰いもしなければなりませんがです、ね、そのところを通らせて頂いたら、その道理におうた信心というだけでは、おかげだけしか受けられんのだと。ね。
 そこでです、少しはね、度胸が要るけれども、超道理とでも申しましょうか、ね、それはね、一生懸命人事を尽くして神に頼むのが道理におうた信心と言うならです、そこんところを、もう、言うなら、ご神前に、どん座った信心、もう、身も心も神様にお任せした信心。
「私が、今日から、細々と食べていくだけ位なことは、行商で先生を賄のうていこう」といった様な考え方をです、もう、その第一日目の時に、神が打ち砕かれたということは、いかに、その先生に願いをかけておられたか。「徳を受けてくれよ。受けてくれなければ、人は助からんぞ」と言う神の声を聞く思いがしたと書いておかれますが、ね、そこに神の声を聞く思いをして、私どもが「天地の開ける音」を聞いて、目を覚まさして頂いて、真の信心に進まなければいけない。
このことによってひと力を受けさせて頂こうという、私は、信心姿勢を取らして頂かなければならない。
もう、今朝あたりの御理解を頂いておりますとね、本当にもったい無い信心をしておる人が沢山います。おかげを受けております。けれども、ほんのかげだけを受けているだけであって、ね、それはあの世に持って行かれるもんでもなからなければ、子孫にも残しておけれるものでも無い。ただ、そのことだけに、血道をあげての信心であるとするならばです、それは「つけ焼刃の信心」だから、取れ易い。自分一代では取れんかも知れんけれども、子供の時にはポロッと取れる。ね。
自分一代ですら、思うようにならんと、やはり取れてしまう。
どうぞ、その身から打ち込んだと仰る、ね、その身から真の信心に打ち込んだと、信心に。だから、ね、人に誘われてのしょうことなしの信心ということをです、今日は、私は、おかげに誘われての信心は、それは、おかげを頂くからこそ参りよるという信心ではです、それを言うならば「しようことなしの信心」だと。「つけ焼刃の信心」だと。
これでは取れ易いのである。
それは取れずに、一つの過程として次の信心に飛躍していけば、また別である。その飛躍していく過程にも、今日は二人の先生のお説教の中から、聞いて頂いておる。それから、いろいろ暗示を受けるところがあったと、こう思うです。ね。
後の坪井教会の先生のお話とてもそうです。ね。本当に神様が感動まします程しの御神縁を頂いて、神様との出会いが頂けたにもかかわらず、ね、それが一度目にはどうやら、二度目にヨロヨロ、三度目には失敗しては離れたという様なことであってはね、神様に対して申し訳ない。そういうところを必ず通るのである。
だから、そこんところをです、私どもは真の信心を目指しておらなければ。ね。言うなら、おかげだけが目当ての信心であっては、そういう時に迷いが起こる。そういう時に挫折する。そういう時に「つけ焼刃の信心」ですから、取れ易い。ね。
どんなことがあっても取れない。どんなことがあっても、そのたんびんに真の信心に飛躍して行けれる様な信心をです。身に着けていきたいと思います。ね。
合楽の皆さんが聞いて下さるお話は、もう、まずは、ほとんど御神徳を受ける話であるけれども、皆んなは、ただ、手前のおかげを受けるというところだけの信心で、皆さんがそこで留めておられるとするなら、こんな惜しいことはないでしょう。ね。
ここんところを、一つ、本気で、私は、抜けて行かなければ、ね、真の信心にはなりません。御神徳を受ける信心ということにはなりません。
いよいよ16日は祈願祭です。何か知らんけれど、7月の夏季修行が余りにも熱心であり、熱烈で遭ったものですから、一遍に何かストッと、こう落とした様な感じがする。ね。ですから、まあ、言うならば、こうやって「かがんでおる」ところかも知れない。ですから、かがんで飛ぶ勢いをです、この16日の御大祭に、ちょうど間に合うように、一つ、準備を、姿勢を作っとかんとです、ね、飛躍が出来ません。
今、言うなら、皆さんの信心がダレておる。と言うことは、こう、かがんでおるようなもの。だから、そこを、こっから向こうまで飛ぼうといった時にはこうして飛ばなきゃ飛ばれん。そっで、こうやって身構えちょってから飛ぶと、それが見事に飛び越えられる様に、夏の大祭を、そういう様な、ね、一段と信心をまた飛躍させて行くことのための、御大祭。同時に、もちろん祈願祭ですから、ね、大いに祈願させて頂くことは沢山あります。
今日は、私は、或る方のお取次ぎをさせて頂いて、もう本当に、もう「どうも済みません。済みません。」と、お詫びにたっておられます。その「済みません。済みません。」ち言うんなら、その「済みません。済みません。」で言わんで済む信心をすりゃ良かじゃ。それをせずに「済みません。済みません。」ばかり言うとる。自分の心を責め立てておる。そしたら、ね、閻魔様の前に立っておるところを頂いた、その方が。
 だから、いつーも心の呵責と言うか、いつも裁かれておる様な状態。だから、私は、お詫びの信心と言うてもですね、本当に「こげなことしちょっちゃ罰かぶる。こげなことしちょっちゃ( ?  )頂く」といった様な内容があるなら、本当、そこを抜け切らなければです、本当のおかげには絶対ならんです。何故かって、閻魔様の前に立っておる様なもんですから、いつも裁かれている様なもんですから。ね。
先ほど、末永先生がお話を致しておりましたがです、そもそもの、私の出会いの時のことを少し話しておりましたが。現在、エー、「もう様々な修行もしてみよう」。明日、炎天に、あの草取りなんかを、かって彼の信心修行の中に、そういうものを見たことが無かった様なことを、この頃、思い立って、しておるけれども、「今日のお話を頂いておると、一つも有り難くない」と、こう言う。
だから、そこは修行ですから、泣く泣く、辛抱しいしいにというところかも知れない。けれども、それがお詫びの印といった様な、ね、ことであるならばです、本当に、そのお詫びが許されるところまでの修行をせにゃいかん。ね。特別の修行をさせて頂いて、「あー、おかげを頂いた」という心の起こって来ないはずがない。ね。
違った願いを焦点にしても、その修行であるとするならば、喜びは与えられない。そこに、考えなければならないことが、私は、あるのじゃないかという風に、お話を聞きながら、思うた。ね。
私と神様、言わば、末永教師との出会いというものがです、もう7年も、8年もなりましょうか。椛目の時代に「内容次第だぞ」と。
一つの壷でもです、汚い物を入れれば便所の隅だ。綺麗な物を入れりゃ、床の間に花を入れて飾られる。同じ壷でも、内容次第で変わるということが、一番はじめに、私の出会いの時に頂いた御理解だといった様なことを話しておりましたが、ね、この内容が変わって行かなければ、ね、そしての修行でなからなければ、有り難いというものには触れることは出来ない。
それは、もちろん、修行の過程にはです、もう投げ出そうごたる時もありましょう。そこを、泣く泣く、辛抱しいしいに、と言うところでしょうけれども、そこを辛抱し抜かせて頂いて、その修行の焦点というものがです、真の信心であるかどうか、ということを、ね、検討させて頂いての修行でなからなければいけないということですね。      どうぞ